熱海の夜~入船亭扇遊独演会これまでの歩み


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第十五夜 冬

令和6年1月30日(火) 内幸町ホール

入船亭遊京  道具や

入船亭扇遊  初天神 / 試し酒 / 明烏


 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

 暦はもう大寒。新年のご挨拶をするにはもはや時季はずれなのですが、今年の熱海の夜は、2017年2月の第一夜から数えて十五回目にして初めての一月開催です、今年はあと二回の会を予定しておます。みなさまの健やかな一年をお祈りいたしますとともに、本年も熱海の夜を相変わらずご贔屓くださいますよう、お願い申し上げます。

 

    だけど‥‥‥なんてことだ。あんまりだ。

 先週一月二十一日に紙切りの林家正楽師匠が亡くなりました。

 

 私も何度か切っていただいたことがあります。寄席がはねたあとバーに寄って、まっスターに見せて自慢していたらお客さんが集まってきた、なんて事も。またいつか、今度は「猫の災難」(猫を大きく!)と注文したいと思っていたのに。

 

 寄席の宝、国の宝。

 

 正楽師匠のご冥福を心よりおいのりいたします。

                                  (も)

            ----  第十五夜プログラムより ----


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第十四夜 夏

令和5年8月1日(火) 内幸町ホール

入船亭遊京  茄子娘

入船亭扇遊  たらちめ / 夏の医者 / 三枚起請 


 先代の九代目入船亭扇橋師匠が病に倒れて高座を下りたのは、十二年前の八月のこと。しばらく臥せっていたのちに永眠されたのもやはり夏でした。

 晩年の高座は、壮年のころの静かな中に艶のある風情からやや変わり、いかにも好々爺の佇まいでいらっしゃいました。歌手の島倉千代子さんの大ファンで、ご本人に乞うてブラジャーをもらったとか(そのブラはいまどこに?)、仲よしの小三治師匠が長いマクラでバラす旅先での珍事とか、蛸の唄とか、微笑ましい逸話がよく知られているのはお人柄なのでしょう。

 光石の俳号をおもちの俳人でもありました。俳句と落語は通じるものがある。扇橋師匠はこうおっしゃっていました。「(俳句も落語も)全部言っちゃっちゃ面白くない。やっぱり我慢なんですね」。

    あぢさゐやどこかに水の音がして

 師匠をのぞいて無駄に酒呑みばかりだという扇橋一門の忘年会は、にわか句会の場にもなったようです。そのときのものかどうか、扇遊師匠が扇橋師匠にお褒めの言葉をもらったという一句。

    山茶花が散る信号が赤になる

ヨウヨウ! 親子!

                                                  (も) 

            ----  第十四夜プログラムより ----


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第十三夜 春

令和5年3月2日(火) 内幸町ホール

入船亭遊京  締め込み

入船亭扇遊  狸賽 / 藁人形 / 井戸の茶碗 


 寄席は昨日から三月上席の興行がはじまっています。浅草演芸ホールの番組は、トリをつとめる蝶花桜桃花さん発案の『桃組公演』。なんと色物さんを含めて出演者の全員が女性という、寄席定席でははじめての興行です。ご趣向もあるようで、桃花さんと三遊亭律歌さんが漫才のにゃん子・金魚さんの扮装でトリビュート漫才を披露しているみたいです。たのしそうおですよね!

 このところ女の噺家さんが増えています。それでも全体の一割にも満たない少数派。あの桂米朝師匠はこんなことをおっしゃています。「女性落語家を育てる自信はとてもありません。それはあたらしい芸を一つ創り上げるくらい難しいことなのです」。落語は男の視点での男の話だとよくいわれます。しかも講談や義太夫と違って、ほとんどが登場人物のセリフで話が進みます。それを女性が演るのは、たとえば譲られた着物の寸法が合わなくて、どこか体になじまないような感じでしょうか。

 一昨年にNHK新人落語大賞を桂二葉さんが女性で初めて受賞して話題になりましたが、彼女はそのとき「じじいども、見たか!」と叫んだそうです。ことばはちょっと乱暴ですけれど、これを聞いて、いかに女性への風あたりが強いかを感じない人はいないでしょう。長らく男の世界だった落語界で、女噺家たちはがんばっています。着物の寸法が合わないならどうするか。身丈や袖の長さを直す人。いったん着物を解いて仕立て直す人。古い着物を直すよりも、反物から調達して新調してしまう人。それなら自分の体の方を着物に合わせてやろうという人も。

 女に落語は無理と決めつける人は、放っておいても勝手に滅びていくでしょう。時間はまだかかっても、いま奮闘している女噺家さんたちがベテランになるころには、もう女だ男だなんていっていた時代は過去のものになっているかもしれません。  (も)

               ----  第十三夜プログラムより ----


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第十二夜 秋

令和年10月12日(水) 内幸町ホール

入船亭遊京  時そば

入船亭扇遊  一分茶番 / 野ざらし / 妾馬 



 今秋、入船亭一門に新真打ち誕生!入船亭小辰さんが真打ちに昇進し、同時に十代目入船亭扇橋を襲名されました。おめでとうございます。扇遊師匠からすると、先代の九代目扇橋は師匠、十代目は弟弟子の弟子。いわば父と甥が扇橋ということになったわけです。扇橋の名跡が長いあいだ空位にならず、故先代の髪も充分にのびた七年後に一門のなかから跡を継ぐ者が出て、入船亭一門は新しい門出をむかえたことでしょう。

 物の本(ウィキペディアともいう)によると、扇橋の亭号が入船亭になったのは八代目からで、初代から七代目までは船亭亭扇橋だったのだそうです。知らなかった!さらに別項には、われらが師匠の前に扇遊を名乗った芸人は数人いて、「立川、船遊亭、立花亭などは亭号がさまざま‥‥」と。てことは、船遊亭扇遊がかつていた?ホント?物知り(グーグルともいう)にたずねてみましたが、空とぼけるばjかりでご存知にないらしく、いまのところ謎です。

 ただいまの寄席では新真打お三方の昇進襲名披露興行の真っ最中です。どうぞお運びを。  (も)

                        ----  第十二夜プログラムより ----


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第十一夜 春

令和年5月10日(火) 内幸町ホール

入船亭遊京  祇園会

入船亭扇遊  崇徳院 / 心眼 / 不動坊 


 先日、運良く二度の機会をいただいて、権太楼師匠と兼好師匠の高座を拝見しました。演目は「猫の災難」、「粗忽の釘」と「小言幸兵衛」。お二人の巧みさと味わいを楽しみながら、どれも小三治師匠でよく聴かせてもらった噺だなと懐かしさがじわりと胸にあふれました。

 熱海の夜にも縁のある落語仲間が急逝したのは何年前でしたでしょうか。日にちはよく覚えています。十月一日。そう、志ん朝師匠の命日と同じなのです。きっとその友人は極楽で自慢しているにちがいないよと、仲間内でよくそう言って笑っています。あの世には命日会があって、同日の人が集まって酒盛りをしている‥‥なんだか落語にありそうで楽しいじゃありませんか。それなら誰と差しつ差されつしたいかしら。まあ、もし落語なら「あっ、しくじった、一日間違えた!」なんてところがオチかもしれませんけどね。それまたご一興。

 憶えておきましょう。小三治師匠の命日は十月七日。酒盛りはなくていいですから(下戸だものね)、師匠どうぞ安らかに。                                         (も)

                   ----  第十一夜プログラムより ---- 


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第十夜 冬

令和3年12月6日(月) 内幸町ホール

入船亭遊京  粗忽の使者

入船亭扇遊  一目上がり / お見立て / 芝浜


ごあいさつ

 扇遊師匠の噺が好きなことだけを頼りに,全くの素人である私たちが師匠の独演会をお手伝いさせていただき、回を重ねてこのたび第十夜を迎えることができました。

 師匠に迷惑をかけない、負担をかけない、恥をかかせないのサンナイをモットーに本寸法の落語会を目指してやってこられたのも、お客様の応援と仲間たちの支え、そして師匠の熱演があったからこそと感謝しております。

 これからも進めるだけ進んでまいりますので、末永くご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。

                                        熱海の夜 席亭 宮﨑健

                 ----  第十夜プログラムより ---- 


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第九夜 夏

令和3年7月8日(木) 内幸町ホール

入船亭遊京   蛇含草

入船亭扇遊   家見舞い / ねずみ / 舟徳 

 まだまだコロナ禍は続いておりましたが、なんとか全席を利用しての開演にこぎ着けることになりましたが、まん延防止等重点措置により終演時間が繰り上げられたため、仕方なく開演時間を30分間前倒ししての開演でした。お客様には大変ご迷惑をおかけしたにもかかわらず多くのお客様のご来場を得て心強く感じた回でした。


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第八夜 冬 三度目の正直

令和3年2月10日(水) 内幸町ホール

入船亭遊京   金明竹

入船亭扇遊   人形買い / 寝床 / 鰍沢 

 前回の七夜から実に15ヶ月ぶりに、座席数半数とはいえ楽しみにお待ちいただいたお客様に公演をお届けできたことは、私たちスタッフとしてなによりもの喜びとなりました。これからもお客様に喜んでいただける扇遊師匠ファンの独演会として歩んでいきたいという思いを新たにした会でした。


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第七夜 秋

令和元年11月19日(水) 内幸町ホール

入船亭遊京   粗忽の釘

入船亭扇遊   口入れ屋 / 三井の大黒 / 富久

令和元年 秋 紫綬褒章受章おめでとうございます

高座でも客席から「令おめでとうございます」の声と拍手が起こり、照れた師匠がモジモジと嬉しそうにされ、お祝いムード満載の中で会は進行していきました。

 紫綬褒章受章 扇遊師匠に聞く

                                                                   聞き手 熱海の夜

ふだん経験できないこと

――紫綬褒章受章、おめでとうございます。受章なさって何か変わったことはあるでしょうか。

扇遊 ええ、自分の中では変わっておりませんが、来月十七日に伝達式っていうのがあるんですね。ですからいろいろ、そういうところへ参列するんで、かみさんが着物をつくらなきゃいけないとか、そういう散財が多くなってるような気がいたしまして、そこが不安でございます。(笑)

――ハハハ。天皇陛下に拝謁なさいますね。

扇遊 [三年前に紫綬褒章を受章した]雲助アニさんにお聞きしたんですけど、天皇陛下から紫綬褒章をいただくわけじゃなく、それはその前の伝達式の段階でいただいて。褒章を胸にぶら下げて、それで……ま、いっぱいいるんですって、紫綬褒章とか黄綬褒章とか、何百人といるところを天皇陛下がまわってきてくださると。

――お声をかけて…

扇遊 お声をかけてくださる…かどうかはわかんないですけど。(笑)間近でお顔を。

――なかなかないことですからね。また新天皇です。

扇遊 あのね、桜を見る会にも呼ばれていたんですが…いま話題になっている。(笑)もしかしたら今年で…

――ああっ! 残念ですねー、それは。ちょっとやってほしい、今度だけ…。(笑)

扇遊 アハハ。まあ、ふだん経験できないようなことをね、やらしてもらっています。そういうときも紋付袴で行かなくちゃいけない。

――そこは、師匠はもう大家さんに借りる必要もないし…。

扇遊 上から三段目から借りようと思ってましたが、それはなんとか自分で。(笑)

――おかみさんは、たのしみですよね。ねえ、新しいお着物。おかみさんは受章で何かおっしゃってましたか。

扇遊 わたしは紫綬褒章ってのがどういうものか理解できていないんです、いまだに。かみさんはインターネットやって、いままで紫綬褒章受けた人とかそういうの見て、わあすごい人たちがと。先輩師匠方とか…

――ええ、ほんとに文楽、志ん生から…。

扇遊 そう思うと、まあ、よかったねって言ってくれます。確かにそういう過去の師匠方の名前を見るとね。そん中に一番新しく自分の名前が、ま、記録に残るのかなと思うと、ほんとにありがたいことだと思います。

運のいい男

扇遊 とにかくわたしはねえ、運がよかったと思います、自分で。

――運がよかった…

扇遊 運がよかった。いい時代に生まれて。昭和二十八年って、戦後八年。でもまあなんとかおまんまを食べられて、それでずっときて、で、いい時代にまた噺家になれた。

――ああ、はい、なるほど。

扇遊 志ん生、文楽という師匠には間に合わなかったんですが、圓生師匠からずっと、稲荷町の師匠とか目白の師匠とか、そういう師匠と、こっちはもちろん前座ですけども、一緒の楽屋にいられたという…。そのあとずっとでしょ、名前を挙げればきりがない。いまのさん喬、権太楼とかそういうアニさんたちと一緒にね、楽屋にいることができて。だからほんとにいい時代に生まれて、いい時代に噺家になって、いままで人生を送ってこられた、これはほんとにつくづく思います。で、芸術選奨とこれいただいて、師匠に恩返しというか、できたかなと思いますね。

――亡くなられて四年。扇橋師匠はおよろこびでしょうねえ。共同通信のインタビューでも、扇橋のおかげということを強くおっしゃっていました。

扇遊 こういうことを聞かれるたびに言ってることなんですがね、ほんとにそう思ってますんで。扇橋のところへ入門を許されて、扇橋んとこで育ててもらって、いまがある。

――惣領弟子でいらっしゃる…。

扇遊 だからね、前座んときは師匠とおかみさんに直接いろんなことを教えてもらったわけです。目白の師匠のとこにも三日に一遍、前座んときに通わせてもらって、そういうのも扇橋が考えてくれたことなんですよね。だからいろんな意味で、ほんとにいいところへ入って育ててもらったと思います。扇橋の縁で永六輔さんとか小沢昭一さんとか、そういう方々とお会いできて、一緒にどっか連れてってもらったり。一番弟子なんで。それも幸せなことでございまして…。だから元にもどりますが、運のいい男だと思います。

俳句の心、落語の心

――扇橋師匠から学んだことで一番大きいことはなんでしょう?

扇遊 余計なことを言うなってことですね。受けようと思うなっていう…。余計なこと言うなって、それはね、うちの師匠はやっぱり俳句だと思うんですよ。

――俳句の宗匠でした。俳句は言葉をそぎ落として…

扇遊 五七五で。うちの師匠は何万句という句があるでしょうが、字余りとか字足らずというのは数えるくらい。ほとんど五七五で収めてる。句とはそういうもんだと師匠は言ってましたから。十七文字の中で自分のいろんな思いをそこに入れる。そぎ落とすということですねえ。余計なことを入れない、それが落語にも通じることだと。ただねえ、できないんですよ、それが。できない。

――できない?

扇遊 わたしはくすぐりとかギャグとかそういうのは入れない、入れられないたちなんですけど、それでもね、やっぱり師匠みたいのはできないですね。どうしてもまだ、人間が修行が足らない。欲というものがありますんで。お客さんに受けたいというね。

――はい。そこはどうしても、噺家さんは。

扇遊 とは思うんですよ。ジレンマっていうと大袈裟ですけど、そのへんに悩みながらいまだにやってますねえ。

――お芝居や文楽、歌舞伎などとは違って、落語はお一人で座ったきりです。

扇遊 台本てのが別にありませんしね。だから自分の思い通りにできるという、これはすごくいいところだと思うんですよ、落語は。噺家っていろんな人がいていいと思うんです。ただわたしは、いまの生き方以上のことはもう何もできないし、いままでやってきたことをこれからもやっていくということですね。それしかないですね。

――お客さんは噺家の人生などはどうでもよくて(笑)、噺のほうが大切だと言われたとおっしゃっていました。

扇遊 小さん師匠が小三治師匠に言った言葉かな。確か、うん。おまえの人生なんて誰も聞きたくねえって、客は。そう言われたというのを小三治師匠の本かなんかに書いてあった。なるほどなと思いましたね。それで小三治師匠に言われたのは、言いたいことがあったらまくらで言えと。(笑)

――アハハ、小三治師匠が。笑えますね。でも古典落語は同じ噺をいろいろな噺家さんがやって、それでまったく違うものになります。演者の人生が表われるのでは?

扇遊 それはね、自然にその噺ん中に、人物の中に出てくるのはすばらしいことだと思いますね。「わたしはいままでこういうふうに生きてきました、こういう苦労をしてきました」、そういうこと絶対に噺家は言いません。そういうのが自然に、いままでの人生でいろいろ経験してきたことが、落語の登場人物に自然に出てくればいいなとは思います。

――もう充分に。

扇遊 いや、そろそろくたびれ手は来ましたけど、まだ六十六なんで゙‥‥。がんばっていきたいと思います。

 

おさきさんと亭主は相思相愛

――登場人物にもっと惚れてとおっしゃっていました。どの噺の誰が好きというのは?

扇遊 ああ、そうですねえ。(笑)いろいろですけど、まあいま言われてすぐは……。ええと、じゃあ「厩火事」のおさきさん。

――ああ、師匠のおさきさん、わたしも好きです! それにサゲがああいうサゲなのに、亭主のほうも師匠のは、ほんとはいやなやつかもしれないという心配はありませんね。

扇遊 まあ、相思相愛だと思いますけどね。

――サゲはあくまでサゲで。

扇遊 そうそう。(笑)おたがいに惚れて、おさきさんは年上だから[亭主が]かわいくてしょうがないんですね。亭主のほうもダラダラしているけれども、結局は頼りにしてるし、やっぱり惚れてると思いますね、それはね。あれをジゴロみたいに扱って、金づるだみたいなやり方もあるでしょう。一人一人の噺家が登場人物一人一人をどうつくっていくかっていうことで、古典落語ってのは変わってきますよね。お客さまの受ける印象も違うでしょうし。

――はい、全然。おもしろいですね。

扇遊 ねえ、おもしろいですね、そう考えると。

――熱海の夜の世話人から感情移入しやすいのは誰か聞いてくれと言われています。(笑)

扇遊 感情移入しやすいの? えーと、「厩火事」の亭主。

――ジゴロの亭主!

扇遊 ハハハ。本気にされると困るんですけど。(笑)              

                                     (も) 

 


紋付袴。和装での男性の正礼装です。お殿さまに見初められて側室になった妹のお鶴がめでたくお世取りを生み、兄八五郎がお屋敷に招かれたときに着たのがこれ。正しくは黒五つ紋付き羽織袴といい、五つ紋の付いた長着に縞地の袴、そして同じく五つ紋の羽二重の羽織を着用します。扇遊師匠が天皇陛下に拝謁するときに着るのもこれでしょう、きっと。

 殿方の紋付袴姿も素敵ですが、気になるのはおかみさんのお召しもの。なんといっても、美しいご婦人の着物姿は格別ですからね。既婚女性の正礼装は黒留袖と呼ばれるもので、これは結婚式で新郎新婦の親族が着ているのを目にしたことのある方も多いでしょう。でも園遊会などのニュースを見ると、黒留袖のご婦人もいなくはないものの、黒地の着物は少ないようです。となれば、地色が黒以外の色の色留袖、その次が訪問着。訪問着は色柄豊富で着られる場面も幅広く、紋を付ければ格が上がります。でもここはやはり色留袖でしょうか。色はどうしよう? 白梅鼠(しらうめねず)白梅鼠(しらうめねず)など上品だし、明るめの若菜色とか暖色の退紅(あらぞめ)退紅(あらぞめ)あたりもいいかしら。柄は入り船とか扇とか? などと、人様のことながら想像がふくらむ……。

 ともあれ、晴れがましい場にご夫婦そろってのご参列。あとは皇居の田中三太夫さんをまごつかせないように気をつけてくださいね、師匠。      (も)

          ----  第七夜プログラムより ----         


熱海の夜 入船亭扇遊独演会 第六夜 夏

7月10日(水) 内幸町ホール

入船亭遊京   出来心

入船亭扇遊   お菊の皿 / 佃祭り / 木乃伊取り


 昨日と今日、浅草の浅草寺ではほおずき市で有名な四万六千日の縁日が開かれています。もとは七月十日だったのが、気の早い江戸っ子がわれさきにと前日から訪れるので,二日間の催しになったとか。

 この日に参詣すれば四万六千日分の功徳が得られるといいます。つまりそれは百二十六年分。浅草寺のHPにも「一生分」と書かれています。じゃお詣りは一生に一度でよいのでは?「船徳」の船客でなくとも思ってしまいそうおですが、そうはいきますまい。○日分というから紛らわしい。この日はいわばポイント四万六千倍デー。なるほどお詣りすればするほどポイントがたまるというわけね。  (も)

          -----  第六夜プログラムより -----


熱海の夜 第五夜 春

3月18日(月)内幸町ホール 19時開演

 入船亭遊京 : 壷 算

 入船亭扇遊 : 厩火事 / 五人廻し / 花見の仇討ち  


 桜の開花までいよいよ秒読み!長屋の住人もお店な番頭さんも、若旦那も「水のたれるような」美しい娘も、お花見を心待ちにしてうずうずしていることでしょう。

 江戸の桜といえばそれまで上野の寛永寺だけだったものを、向島や飛鳥山、御殿山などに染井吉野を植え、さらに茶店までつくって庶民にお花見を奨励したのは、第八代将軍徳川吉宗だったそうです。享保の改革の一環でしょう。植樹は治安対策、防災対策のほか、川堤が花見客に踏み固められるのを見込んだ治水対策であったとか。

 三百年後のいまもなお、日本中がこの季節に心をなごませているとは、暴れん坊将軍もびっくりかも。 (も)

 

          -----  第五夜プログラムより -----


熱海の夜 第四夜 秋

10月9日(火)内幸町ホール 19時開演

 入船亭遊京 : ろくろ首

 入船亭扇遊 : ちりとてちん / 片棒 / 文違い


 

おかげさまで熱海の夜は本日の第四夜で冬、夏、春、秋と、季節をひとめぐりしました。足を運んでくださるみなさま、本当にありがとうございます。

 それにしても、暑く長い夏がようやく終わったかと思えば、長雨に台風襲来、真夏のような暑さ、そしてまた曇り空。天高くすがすがしい秋はいったいいつ訪れるのでしょう?せめてみなさまには小さな秋をひととき感じていただきたく。

  白菊の白妙甕にあふれける       秋櫻子

 ちなみに俳人の水原秋櫻子は、本日十月九日が生誕日です。ついでながら、ジョン・レノンもね。    (も)

         -----  第四夜プログラムより -----  

 


熱海の夜 第三夜 春

3月14日(水)内幸町ホール 19時開演

 入船亭遊京 : 鮑のし

 入船亭扇遊 : 蜘蛛駕籠 / 天狗裁き / 百年目


芸術選奨文部科学大臣賞受賞!

入船亭扇遊師匠が平成29年度(第68回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されました。

前回の熱海の夜第二夜で口演した 「牡丹灯籠 お札はがし」 も受賞理由の一つです!

           -----------------------------------------------

 三月十四日。そう聞いて、ホワイトデーを思い浮かべるお若いお客様もいらっしゃることでしょう。ですが、もう一つ、もっと重要なことが起こったのがこの日でした。

 旧暦元禄十四年(1701年)三月十四日、赤穂藩主浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介を斬りつけました。その日朝廷との儀式を控えた将軍綱吉は激怒、内匠頭は即日切腹を命じられて果てたのでした。

 家老大石内蔵助を頭目とした赤穂浪士四十七人による敵討の顛末は、四十七年ののちに傑作の誉れ高い浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』を生みます。落語の中の若旦那や小僧さんもこの芝居に夢中、腹にすえかねた大旦那とのあいだのすったもんだ‥‥‥‥‥。ほら、重要でしょう? (も)

          -----  第三夜プログラムより -----

♬ 終演してお帰りになるお客様のうち、一人の年配のご婦人が近づいてきて、扇遊さんの百年目をずっと聴いてみたいと思っていたが、今日聴けて本当にうれしかった、よかったと、わざわざ言いに来て頂けました。そんなすてきなお客様とこの会を続けて作っていきたいと思います ~ 世話人たちのこぼれ話 ~ ♬  


熱海の夜 第二夜 夏 

8月22日(火)内幸町ホール 19時開演

 入船亭遊京 : つづら泥

 入船亭扇遊 : 夢の酒 / 青菜 / 牡丹灯籠-お札はがし-

 


  扇遊・喜多八二人会。それがこの会の発端、席亭がいつか実現させたいと願っていた計画でした。

 機会到来し、お二人の師匠からご快諾いただき、さて、それでは会場をおさえましょう、という矢先に喜多八師匠は川を渡ってしまわれました。

 ああ、殿下! ずるいよ、約束したのに!

「いやあ、悪かったな」なんて言いながら、お盆を過ぎた今日も左平次さながら居残りを決め込んで、殿下はいま会場の中をぶらぶら、にやにやしながら会を見守ってくださっているかもしれません。

       そうだといいな       (も)       

                 -----  第二夜プログラムより -----


熱海の夜 第一夜 冬 

2017年2月20日(月)内幸町ホール 19時開演

 柳亭こみち:熊の皮

 入船亭扇遊:棒鱈/火事息子/付き馬


 「熱海の夜てえことは‥‥熱海で温泉はいって、扇遊さんの噺を聴いて、その後師匠と一杯やっていこうっていう会、ですよね?」

「あ‥‥」

 扇遊師匠の新しい会をはじめるにあたり、世話人一同、「熱海の夜」という名称に何の疑問も持ちませんでした。熱海の夜だから熱海でやる会でしょう?

-いわれて気がついた。なるほど、そう思うのもごもっとも。

 いまごろ会場を探して熱海の街を駆けまわっているあなた。どうぞ内幸町までおいでくださいませ(も)

         ----第一夜プログラムより----


 ※ ホームページ内で使用しております写真の転用・転載はお断りいたします